2012年4月3日火曜日

餌付けのデメリット


「ウミネコ繁殖地蕪島を守る会」の会報から記事を紹介します。

「蕪島のウミネコ」NO.19(2001.3.10)より抜粋
ウミネコが蕪島の環境を評価している

最近は、あちこちの繁殖地でウミネコの移動現象が見られます。2000年は大間の弁天島で、4万羽のうち半数が帰って来なかったといわれています。これは、ウミネコが繁殖地として選ばなかったからです。ウミネコは生まれた島に帰る習性が強いのですが、冬の間、移動をしながら良い場所を見つけて、そっちへ移動したのでしょう。多分、餌の状況、天敵のこと安全になわばりがもてるか、人の出入りが多くないか等が影響していると思われます。ウミネコが、繁殖地としての自然を評価しているのです。

蕪島でも同じことで、昔から来ているからという訳にはいかないと思われます。昔は今より環境が良かったし、餌場も近かったが、現在は人工物に取り囲まれ、海はよごれ人が車で押しかける等、ウミネコに良く評価されていないでしょう。昨年は神社あたりから前面は、通常の場所より巣の数が30%ぐらい少なかったのです。このことは、環境悪化を物語っていることではないかと思われます。このような徴候を知るためには、毎年、巣の密度を測定しておかなければ分からないことです。保護を行うにはウミネコが繁殖地をどう評価しているかを可能な限り調査しなければなれません。どのような環境で、繁殖地を保とうとしているかを知ることです。生態学的原理による環境測定ができて保護行政が成り立つのです。

このように保護に必要なこともせず、観光客が多く来ればよいという考えはあってはならないことです。卵の死亡、雛の死亡の増加を進める要因は、取り除かなければなりません。いくつかの天然記念物の島の中では、蕪島は陸続きで特殊な環境にあるので危険を多くはらんでいます。このことは、大久喜の弁天島を見れば、環境変化で繁殖地を捨てることは明瞭です。弁天島は離れ島であったころ、蕪島と同じくらいのウミネコが繁殖していました。それが陸続きになったら、島を捨て少なくなってしまったのです。天然記念物に指定されている蕪島だけでも、毎年、安心して春に帰り子育てが完了するまで、ウミネコのための島にしてやらねばならないと思います。

環境問題が騒がれている折り、八戸市の自然の現状把握ができる環境行政も望まれます。学校では総合的学習で環境学習が盛んになろうとしているのに、それに答える体制はできているのでしょうか。蕪島も近隣の学校では教材に取り上げています。保護活動は、教育面にも資料提供することが要求されています。人間は安易な考えで、昔から開発や観光の名のもとに自然を悪用する傾向があります。ウミネコは、繁殖地が世界で主として日本列島周辺と極東周辺だけであり、それだけに蕪島も地域レベルにとどまらず世界的レベルの考えで保護にあたらねばならないと思います。

蕪島の自然を保つために

市街地に近い蕪島、本当に自然が保たれているでしょうか。大正11年3月に天然記念物として指定は受けたものの、その後はなし崩し的に自然が失われています。昔は、離れ島だったから船で行き来したのでしょう。だから、人の出入りも少なかったのです。鮫青年団が監視活動をしていたころは、卵泥棒が船で来たという話です。その後、つり橋がかかりトロッコが走る橋へと変わり島の利用がなされるようになったようです。
昭和18年頃には、軍隊の都合で陸続きになってしまいました。当時、軍隊に入隊していた新潟の人が何年か前に蕪島に来て、当時とは比較にならないほどウミネコの数が多いと手紙をくれました。陸続きになり、魚雷艇の防空ごうが何本も島をくりぬいていました。終戦になって、防空ごうにはネコが住み着くようになったのです。昼は穴に隠れ、夜にはウミネコを襲った。それに昭和30年代になっても、卵泥棒がやって来ました。その後、防空ごうは島の陥没をまねき埋め立てられたのです。陸続きになったことで、天敵が自由に出入りできるようになったことは、自然を失うことにつながっていったのです。

さらに、車社会になって益々多くの人達がやってくるようになりました。昔の状況からすると、考えられないことでした。そして、エビせんをばらまき不自然な接近をしはじめるようになりました。天然記念物の場所であるから、現状変更の対象になることであるにもかかわらず野放しにしてきたことは手落ちでした。天然記念物の場所は、自然のままに見学すべきです。非繁殖期だからといって、不自然なことをすることは良いことではありません。また、たくさんの観光客がきて自然の素晴らしさを満喫することは好ましいことですが、繁殖地内の卵や雛を見殺しにしてまでナタネを繁茂させることはどうかと思います。おまけにノラナタネが絶滅したからといって、普通のナタネの種子を島全体にまき、自然を壊すとんでもないことまでしてしまったのです。そのナタネの繁殖を管理しないと雛の繁殖が妨げられるようになったのです。問題なのは、棚内の特別保護区はどこも繁殖のために同じ条件を確保して、はじめて天然記念物としての保護管理をしたことになると思われます。

今は車社会で便利になりましたが、他の繁殖地にくらべて不自然に思えてなりません。天売島も飛島も、約600人の住民と海鳥が共存していますが、鳥の生息域は大切に保護されています。観察路が整備され、途中に観察のための解説板、観察用の双眼銃の設置があり、車の乗り入れは禁止されています。積極的に島の自然を活用するなら、このような自然だから、このような接し方をしてほしいということを観光客に働きかけることです。どのように接してよいのか分からない様にしているのは不親切です。蕪島には、他の繁殖地と違う特色があるので、その点を明確にして観光客に伝えるべきです。自然を自然らしく保つためには、これからの便利な車社会にとって課せられた問題であると思われます。

◆保覆活動妨害が目立つ◆
昨年から今年にかけて、”食べ物を与え巧いで下さい”の看板の抜き取り、”ネコ捕獲箱”の盗難、”インターネット用電話向線”へのいたずらなどがあり、非常に残念なことでした。


NO.15(1999.07.25)より抜粋

今年は近年にない良い巣立ち率

7月に入って、巣の位置で羽ばたき訓練をしていたヒナたちは海岸目指して飛び出します。飛び出し前までのヒナの生育は、最近では今年は一番良い結果になっています。5、6月の天候が良く、やませによる長雨、低温もなく、えさはセグロイワシが切れ目なく与えられたこと、遊び半分に食べ物を与えてなわばりを乱すことがなくなったこと、キツネが入れなかったことが良い結果につながっています。境内の5mX5mの調査区内の様子を3年間分紹介すると、どれだけ違うか比較できます。


1997年 えびせんのばらまきが放置されていた
巣の数   卵数   巣に対する巣立ちヒナ
1卵    3  3
2卵   11 22
3卵    9 27
4卵    0  0
合計   23 52 巣立ちヒナ17羽 17/52x100=32.6%


1998年 えびせんのばらまきを禁止するが守られない
巣の数   卵数   巣に対する巣立ちヒナ
1卵    1  1
2卵   13 26
3卵    8 24
4卵    1  4
合計   23 55 巣立ちヒナ20羽 20/55x100=36.4%


1999年 食べ物を与えることなく、販売を禁止する
巣の数   卵数   巣に対する巣立ちヒナ
1卵   2  2
2卵   11 22
3卵    8 24
4卵    0  0
合計   21 48 巣立ちヒナ27羽 27/48x100=56.2%



天候の差はありますが、産卵、巣立ち率に差がでました。えびせんをやらなくなったら、境内も静かに歩くようになり、ヒナにとっては良い環境に変わりました。長年、保護にあたっている監視員もこんなにも違うのかと驚いていました。
神社の階段部分では、えびせんをばらまいていた時は1,2羽しか生き残るものはありませんでした。えびせんを禁止した今年は、63羽も生き残りました。これ程の違いがあるのです。境内の歩道部分についても同じようなことがいえます。繁殖妨害をなくすために、天然記念物に指定しているのですから、自然をこわす元になることはさけるべきです。7月下旬から8月上旬にかけて、北へ向かって移動して北海道が寒くなること南に移り日本列島の海岸を移動して冬を過ごします。


ウミネコ繁殖地を守る会は、保護活動に理解のある方々の参加を歓迎しています。学習会の開催、会報の発行などを行います。通信費1,000円納入の方には、会報・案内状などを郵送します。